アラフォーの本棚

40前後の中年の読書記録を公開。

書評:容疑者Xの献身 ~純粋な愛とその残酷さ

容疑者Xの献身

現時点で、現代ミステリーの最高傑作と思う。ミステリーとしても一級。人物描写も一級。人を愛することの純粋さと残酷さが見事に描かれており、読後はただただ切ない。

 

冒頭、母子家庭に元夫(子供にとっての父)がやってきて、トラブルの末に子供が父親を殺害してしまう。そこにその親子の隣人が訪ねてくる。読者は事件の犯人を最初から提示されているため犯人を推理する楽しみはないが、ストーリーの中で警察がどうしてもこの親子が犯人であることにたどり着けない。それは、事件直後に訪ねてきた隣人が何らかのトリックを使っているからのようだが。。。

 

ガリレオシリーズの第3弾。映画化もされ、知らない人はいないぐらいの作品かもしれないが、それだけ支持されている通り、かなりの傑作。本をあまり読まない人に何かを進めるとしたらこの本。ミステリーを読んでみたいが最初に何を読むか、と尋ねられたらこの本。

 

事件の真相がわかった後、こんなにも純粋に人を愛することができるのか、という人間の愛情への感動を感じる。一方、その愛ゆえに残酷な行為に手を染めている部分もあり、劇中で語られる愛は、ある犠牲の上に成り立っていることも明かされる。

愛の前に人間は、強くもなり、残酷にもなる。また、被害を被る人物のことを考えずに愛する人のことのみを考える弱さも浮き彫りになる。このような人間の複雑さをある種の寓話としてミステリーに昇華しており、引き込まれるストーリー展開にはとどまらず、読後に大きな余韻を残している。一級のミステリーであると同時に一級の文学作品でもある。

書評:王とサーカス ~時に正義は悪より犠牲を生む

王とサーカス

ミステリーとしては、派手なトリックがあるわけではないものの、緻密なロジックの上で事件の真相にたどり着く正統派。私はミステリーとしての出来もさることながら、事件の背景にある犯人の動機というか思想というか、そういうことを考えさせられた点が傑作と思う。

 

本書の舞台はネパール。実際に起きた王族殺害事件を題材として、厳戒下の国で起こった軍人の殺害事件を異国の人間である日本人ジャーナリストが追う。

 

ミステリー小説のため、ネタバレは避けるが、小説の後半に作中人物から、ジャーナリズムが正義のために行った報道が、多くの人の命を奪ったという言葉が出てくる。その報道は、ネパール国外からのもので、完全に善意から発信され、誰からも妥当な報道であると判断されることは間違いない。それでも、少なからぬネパールの人間を窮地に陥れた。

完全な悪意からの行動や制度であっても、その中で生きている人間がおり、さらにその人間自体は悪意を持たずにそこで生きていることも多い。それを壊すことは、たとえ善意からであり正義であったとしても、少なくともそれらの人間の生活を壊す。

 

よく言われることではあるが、正義は常に一つではなく、極端な話、人間の数だけ正義があるともいえる。その中で、ジャーナリズムが果たす役割は何か、ということに悩む主人公は読者に多くの示唆を与えてくれるのではないか、感じた。

正義とは何か、どうあるべきか、ということを考えさせられる秀作。

書評:知らないと恥をかく世界の大問題13 ~なんとなくわかった気になっているニュースを理解しなおす

知らないと恥をかく世界の大問題13

1年に1回のペースで出版される本シリーズは毎年購読。出版時点での重要ニュースをその歴史的な背景までさかのぼって解説してくれるため、分かった気になっているニュースが意外とわかっていないことを教えてくれる。素人が新聞や各種メディアのニュースを見る上での補助的な資料としては、一級品。

 

今回の巻の主要な話題は、なんといってもロシアによるウクライナ侵攻。

この話題についても、ロシアとウクライナの成り立ちやソ連時代の両国の関係など、過去にさかのぼって、そもそもなぜ今回の侵攻が実行されたかが解説されている。

ウクライナ侵攻は、武力を使って領土を拡張しようとした、という点では、決して許容できることではない。しかし、ロシアを非難するにしても、ロシアがどのような思考で今回の戦争を仕掛けたか、ということを理解しておくのは非常に重要である。ロシアがウクライナをどう思っているのか、EUアメリカとの関係、等は歴史を起点にして考える必要がある。

 

また、アメリカについても知っておくべきことは多い。

バイデン大統領は、中間選挙の年に当たり、外交のみに力を割ける状況ではない。コロナ対策やアフガン撤退においても国民から失敗と受け止められており、支持率が下がっているために、その傾向はなお強くなる。

難しいかじ取りを迫られるバイデンだが、もちろん彼だけの責任でそうなったのではなく、過去の大統領も抱えていて対応を行ってこなかった課題である。特にアフガンについては、戦争という手段で民主主義の政治を導入しようとアメリカが介入している側面もあり、この点においてはロシアと似たような行動を実行している、と言えなくもない。

 

アメリカ一強の時代が終わり、新しい秩序が構築されようとしている過渡期にいるのではないか、なんて知ったようなことを考えるきっかけも与えてくれる良書。

書評:銀河鉄道の父 ~父親であることの苦悩と喜び

銀河鉄道の父

童話作家としては知らぬ者がいない、宮沢賢治の父を主人公とし、父親を通してみた賢治の成長を描く。世の父親は全員この小説に一部なりとも共感を抱くのではないだろうか?

 

宮沢家は代々質屋を営み、比較的裕福な暮らしをしていた。その家の長男である賢治は、父親の考えから中学校にも通い、多少の素行の悪さはあるものの成績は優秀であった。しかし、長ずるにつれ、質屋としての商才がないことが分かり、いろいろな職業にも就くものの長続きしない。父にお金の無心まで頻繁にする始末で、このような生活力の無い賢治に、父親は時にやさしく、時に厳しく当たる。

 

賢治の父親は、一般的には賢治に自由を与えなかった、という点で悪者として解釈されがちであるらしい。ただし、それは宮沢賢治童話作家として著名になった姿を知っているからそう思うだけで、生活力の無い息子が夢見がちな言動ばかりしていると、実の親としては何とか仕事をするように促すのは当たり前の感情だと思う。

 

作中には、父親として息子とどう相対するか、という父親としての永遠の課題ともいえる問題にたびたび触れられている。失敗に対して言い訳をする賢治を叱りつけずに認めてやったり、ほめてやったり、さとしたり、援助をしたり。口うるさい父親に対して、賢治は苦手意識を持つようになるが、父親からすると賢治への愛情が口うるさくさせている。

 

全編、宮沢賢治を”世間知らずのお坊ちゃま”として描いているのが、一般的な宮沢賢治像とは違っており、非常にユニーク。父親としてはその世間からずれた部分が、頼りなく感じる反面、可愛さでもある。

全国の父親に読んでみてもらいたい、心温まる家族小説である。母親目線では、感想が変わるのかもしれない。

書評:レ・ミゼラブル ~降りかかる不幸も心の持ちようでは幸福に?

レ・ミゼラブル

レ・ミゼラブルは、言わずと知れたフランスの作家、ユゴーの名作長編。

とはいえ、私はアラフォーになるまで読んだことがなかった。

こんなことでは恥ずかしすぎる、、、ということで読みました。

新潮文庫版は全5巻。

 

まず、言えることは、フランスの近代史を知っていればより楽しめる。そして、キリスト教の考えをある程度知っていればもっと楽しめる。いずれも不十分な知識のため、本書をきちんと理解できているかというと少し不安だが、とにかく読みました。

 

主人公は、ジャン・ヴァルジャンという壮年の男性。若いころ、魔が差してパン屋からパンを盗んだ罪で刑務所に入れられる。度重なる脱獄等も重ねて、刑期は10年ほどに。

心がすさんだジャン・ヴァルジャンは、刑期を終えた後に社会に出るが、徒刑囚として周りから扱われるため、ますます心がすさむ。

そんな中、手を差し伸べてくれた聖人のような神父へも神父が唯一持っていた金目の物を盗むという態度で罪を重ねてしまう。しかし、神父はそれを許し、ジャン・ヴァルジャンを逃がす。このことが、ジャン・ヴァルジャンの考えを変え、以後、彼はその神父のように生きようとする。

手堅く事業で成功し名声を得たり、養子を迎えたり、と一般的には幸福と言えるイベントが彼にも訪れるが、その都度、徒刑囚であった過去が彼の幸せを脅かす。

 

ジャン・ヴァルジャンの行動は、改心後は聖人そのものだが、徒刑囚という過去が彼が聖人であることを許さない。都度、彼はあるべき姿やとるべき行動と過去を隠すための行動との間で揺れ動き、その描写は非常に人間くさい。

彼自身は迷いながらも、誰も見ていなくても自分だけは自分を見ている、という考えから、困難であってもあるべき姿を貫き通す。

読者の視点からは、彼には小さな幸せこそあるものの、これでもかというほど不幸が襲ってきているように見える。それでも、彼はあるべき姿を貫き通すことで、真の幸福に近づくように努力している。そして、不幸に見えるジャン・ヴァルジャンの人生こそ、人並みの幸福以上の幸福があるのではないか、という感覚を覚える。

彼のような人生は断じて送りたくないが、一方で幸福を不幸との対比で感じるということならば、真の幸福には深い不幸が必要なのかもしれない。そんなことを考えさせられた。

書評:中国の歴史1(陳舜臣) ~神話から春秋時代まで

中国の歴史1

国史を全く知らない素人でも興味深く読める入門書。小説家の魅力的な文章で、中国の歴史を紹介してくれる。1巻は、中国の神話から春秋時代まで。

 

最古の王朝として「夏」という王朝があったと伝えられているが、これの実在は確認できず、現段階では「殷(商)」が確認できる最古の王朝である、とのこと。これも占いに使う動物等の骨に刻まれた甲骨文字が発見されて、初めて存在が確認されたという。

 

殷から周へ、そして群雄割拠の春秋時代へ、と歴史は動く。殷から周への転換は、アラフォー世代は、少年時代にジャンプで連載されていた「封神演義」により案外なじみが深いと感じている人も多いはず。

ただ、周も現在の中国から考えると国土は非常に狭く、地方国家程度の実力しかなかった様子。同様に他の地方が力をつけてくることで、周の存在が相対的に軽くなり、群雄割拠の春秋時代へと移行していく。

呉越の戦いが最後に書かれており、次巻以降は戦国時代へ。

 

国史をほとんど知らない私でも、興味さえあればある程度はすらすらと読める。いきなり専門書を読むのはちょっと、という方には、小説に似た語りで歴史を知ることができる本書がおススメ。

書評:MBA バリュエーション ~M&A実務から資本主義について考える

MBA バリュエーション

M&Aの際に用いる企業価値算定(バリュエーション)の教科書。企業価値の算定がどのような要素から行われるか、また、どのような過程で価値が確定していくか、が実務にも使えるレベルで記載されている。ただ、それにとどまらず、M&Aが果たす社会的役割や、さらにそこから発展して資本主義の功罪まで言及されている。

 

バリュエーションをどのように行うか、という実務の点については、教科書的なものなので、ここでは詳細は省くが、つまるところ企業価値は、将来キャッシュとターミナルバリューの現在価値である、という理解で進められている。

 

バリュエーションの教科書であるが、それにとどまらない魅力はM&Aというものを通して、資本主義とはどのようなものなのか、に言及されているところである。

 

資本主義というものの大筋の理解は、資本を元手に事業を行い、稼ぐことでさらに資本を増やし、さらにそれを元手に事業を行い…という繰り返しの中で、富を蓄積するという考え、ということで外れてはいないと思う。M&Aとは企業に値段をつけ、企業を買い取ることのため、その意味では、資本主義あっての概念である。そのM&Aを通して、資本主義を観察することで、本書では資本主義の功罪をある程度明らかにしている。

 

本書の中で、日本についての言及もある。日本はもちろん資本主義の国であるが、非効率な経営を行っている会社がいまだに存在しており、日本は本来の資本主義ではない、という主張はなるほど、と思わせる面もあった。徹底した資本主義国であるアメリカでは、非効率な経営は株主を満足させられず、買収対象になるためである。

 

ただし、著者は資本主義を徹底することがすべて正しいわけではなく、日本には日本の良さがある、との主張をしている。ただ、日本独自の良さも、諸外国の行動原理を理解しないままでは、十分に発揮することができない。

 

このようなことを考えさせてくれる本書は、前述の通り教科書にはとどまらない、教養書である。